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太古から存在している山 [妙高市応援してます♪]

kujira.gif太古から存在している土地

例えばそこが、何千メートル級の山であっても、地層からは、海の生物の化石が出土し、そこが大昔は海だったことをさす・・・などということは、珍しくありません。
「そうかここら辺は海だったのか・・・」と、突然、海の底にいるような感覚を味わおうとも、それは、遥かな昔のことです。

山の生命を思えば、人の生命は儚く、やがては土に還っていきます。
山になにか、変動があるとすれば、それは、地殻変動や天変地異が起きる時といえるでしょう。



inu.gif妙高山は、いつ誰が名づけたの?

そもそも、土地に、名前がつけられているということは、誰からも認められているということです。
たとえば、長野県の「戸隠山」は、古代、日本の神様が岩戸隠れをしたといわれている有名な場所です。
新潟県の「妙高山」は、古代インド語(サンスクリット語)から名づけられていて、世界の中心にそびえたつ高い山(sumeru=シュメール=須弥山=意訳して、妙高山)という意味があるそうです。
なぜ、「妙高山」は、古代仏教の山から引用されているのか、不思議です。
私達からすれば、郷土のお山ですから、もっとずっと、身近な感じがしなければならないわけです。

新潟県は、ご存じの通り、春夏秋冬の折々の風景が美しく、土地が豊かで、すばらしい地域です。
妙高一帯は、縄文、弥生時代の集落の遺跡が残っていることから、古代においても、人々が住んでいたといわれます。
その古代というのは、はて、いつ頃まで遡れるのでしょうか。
記録がないのでわかりません。これは、想像ですが・・・、

海を隔てて、お隣の大陸から、ある時、人々が渡ってきました。しばらく内陸を歩くと、行く手に、妙なる山々の景色が見えました。それが、あまりに神々しかったので、、
『この山は、仏教の霊山といわれる須弥山のようだ。これから私達はここに住み着き、あの山を、妙高と呼び、信仰しよう』
そんなことがあったのかも知れません。
身近な土地における、太古の歴史ロマンの想像が、ゆるやかに花開きます。


mayo01.gif「自然崇拝の国、日本」

「山、川、湖」などの自然は、古代から信仰の対象になっており、
人々は集団で、土地に住み着き、脈々と子孫を残し、土地を守ってきました。
ですが、人の世。
「市町村」や「国」単位では、争いの世において人間同士が滅ぼし合ったり、平和な世においても区画整理をしたりしているうちに、土地の名称は、変化消滅してしまいます。
そして、何百何千年後かには、人々の記憶からも、消滅してしまうのです。
栄華を誇った場所も、ただの廃墟と化していく・・・。
私達は、残された石板や、古文書から、歴史をひもとこうとしますが、
誰に名づけられなくとも、土地自身は、ずっと存在し続けます。

わたしとあなた、みたいな感覚で単純に考えるようにして、わたしと山という存在を、考えてみます。
山は、遠くから見ているときと、近くへ抱かれたときの印象が、違います。
癒されると同時に、圧倒感があります。
人のスケールより、はるかに偉大な山。
山に、心がもしあるならば・・・悠久の時間をどのように生きているのか、聞いてみたいです。
山がたくさんある国に生まれたからには、山と真剣にむきあってみるのも、面白いですね。




2009-06-14 00:18  nice!(1)  コメント(0) 
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